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ペットは家族?家族じゃない?

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ペットは家族?家族じゃない?

ペットは家族?家族じゃない?

2022/01/12

ペットについての見方って、本当に人それぞれですね。

 

「ペットは家族です」という人もいれば、「ペットは家族なんかじゃない」という人もいて、同じ家族の中でも、ペットに対しての温度差は異なることが多いものです。

 

大好きな人もいれば、すでにお迎えしているのに大反対していて、人間の間で常に悶着が絶えないご家庭も実際にあります。動物としては、迎えられたから来ただけなのに、自分を挟んで争いが絶えなくなってしまったとしたら、本当に理解できずにいたたまれない気持ちだろうなと思います。

 

家族じゃない、という意見の中には、「動物には避妊去勢をするじゃないか。人間の娘息子にそんなことしない」といった意見もあるようですが、そういった個々の部分を見ていくとしたら、ニンゲンはリードにつないだりしない、床にお皿を置いたりはしない、外に排泄に行かない、などなど、”同じ”ではないところはたくさんあります。

 

動物と人間は、そもそも生き物としての種が違うので、四本足で歩いたりしない、羽で飛んだりはしない、などなど、行動面での違いも明らかなところは多い、というか、違いばかりです。

 

じゃあ、”違う”から家族とは言わない、のかな???

 

言葉を使うのが当たり前のニンゲンは、当たり前すぎて普段意識もしていなことがほとんど。自分がその言葉の意味をどう捉えているのかの無意識と、何かに対する好きか嫌いかの感情が、自分の意見を大きく形作っていることにも気づいていけたら、”そう”なのか、”そうじゃない”のか、の間にどれだけでも幅があることも見えてくる。

 

反対に、”同一性”のみを根拠にしていけば、どなんなことがらでも、どれだけでも意味を狭めていくことができてしまいます。人間の歴史をちょっと振り返ってみれば、この狭い見方がどれだけでも分断と否定を生み、相手を無き者にする策が講じられてきたかの例に困ることはありません。​​

 

ペットの家族/家族じゃないに限らず、人間同士の見方含め、何ごとも、”そう”なのか、”そうじゃない”のかって、ある一つの見方をしている限り、多分ずっとその平行線は変わりません。そして、どっちが”正しい”のかにとらわれて、意見に固執してしまうことも出てくると思います(周囲の人間関係が、それで良くなることはないことは確かでしょうね)。

 

ちなみに「家族」という言葉について調べてみると…

 

*ーーーーーーーーーーーーーーーーー*

 

”婚姻によって生じた夫婦関係、「産み、産まれる」ことによって生じた親と子という血縁関係、血縁関係などによって直接、間接に繋がっている親族関係、また養子縁組などによって出来た人間関係等々を基礎とした小規模な共同体が、家族である。

 

また、血縁関係や婚姻関係だけではなく、情緒的なつながりが現在の家族の多様性によって最重要視されている。”

 

Oxford Dictionariesでは、英語の「family」に関して、大きく分けて3つの意味を挙げている。

1 ふたとそのたちで、ひとまとまり(ひとつの単位)として一緒に暮らしているものたち
1.1 血縁や結婚によって関係づけられた人々
2 共通の先祖を持つ全ての人々
3 関連性のあるものごと

 

広辞苑では「家族」の解説文としては、「夫婦の配偶関係や親子・兄弟の血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団」としている。

 

 

大辞泉では、「夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団」としている。

 

「家族」『ウィキペディア フリー百科事典日本語版』

https://ja.wikipedia.org/

最終更新日時:2022年1月2日 14:21(日本時間)
アクセス日時:2022年1月12日 12:15(日本時間)

*ーーーーーーーーーーーーーーーーー*

 

もちろん、ごく基本的にみれば”同種の生き物の”(とまでは書いてないけど!”)婚姻や血縁がベースではありますが、注意深く読めば、解釈の余地がふんだんにあることが分りますよね。

 

人間関係”等々”を基礎とした小規模な共同体
血縁だけではない情緒的なつながりが最重要視されている

関連性のある物事

親族関係を基礎にして成り立つ小集団

共同生活の単位となる集団

 

という視点で見れば…

 

家に迎えて、名前を付け、世話をし、共に時間を過ごし、その動物がいるからこその関係が生まれ、心に感じるものがあり、気にかけ、いたわり、最期を看取る…

 

こんな存在が、家族デハナイ、と言い切れる方が不思議に感じます。

 

いがみ合っている血縁・親族よりも、よっぽど幸せに貢献してくれている家族じゃないかなあ。

 

同種の人類の間でさえ、生別や肌の色、民族や国籍の違いで、どれだけでも分断を生み出そうとしてきたニンゲン。そして今でも、その色眼鏡は、濃淡こそあれ、完全にはなくなっていません。

 

なぜだか自分で頭がいいと思っている人類全体だけれども、まだまだそんなレベルなもので、種の違う生き物を家族にすることも、抵抗感や違和感があるのはまだまだ仕方のないことかもしれません。

 

違う存在を、家族じゃない、と認めずに遠ざけることで、ゆくゆく本当にひとりぼっちになってしまうのは、人間の方かもしれません…

 

分断を生み出しているのは、頭が良すぎる人間の、その頭の中にある”意味付け”ではないのかな? そう考えると、つながりの中において、すべてをひとつ、誰でも家族、という捉え方、ものの見方が当たり前になっていくだけで、この世はもっと優しくて、誰にとっても生きやすい場所になると、私はオメデタク思っています。

 

獣医師やトリマー、トレーナーといった、動物を動物として直接的に身体に関わる仕事では無いアニマルコミュニケーターは、動物をかなり人間寄りに見ているところがあるのは確かですけどね。

 

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